神戸の自然シリーズ17 神戸の地層を読む2
  前ページへ 目次へ 次ページへ

4.青粘土層を不整合でおおう川西粘土層

図25 川西粘土層の分布 (神戸市発行2500分の1地形図を縮小)
この地図は,国土地理院長の承認を得て,同院発行の5万分
の1地形図及び 2万5千分の1地形図を複製したものである
(承認番号 平14総複,第389号)


 この川西粘土層はどこまで広がっているのか、ということを調べるため地層を追いかけてみました。その結果、JRの朝霧駅の周辺のごく狭い範囲にしか分布していないことがわかりました。

 これより北にいくと、メタセコイアの化石をふくむ地層(明石累層(あかしるいそう))がでていて、その地層にぶつかるような関係になっているのです。

 私たちは、この川西粘土層(これをふくむ地層を朝霧部層と名づけます)と明石累層は不整合の関係であると考えました。どうして不整合であると判断したのでしょうか。

 川西粘土層はほぼ水平な地層です。すると同じ高さのところにはこの粘土層がつながって出てくるはずです。川西粘土層が出ている松ヶ丘の崖がありますが、その崖の北西の朝霧川をはさんだ斜面には川西粘土層は出ていません。そこには北から連続してきた明石累層がでています。

図26 朝霧部層(川西粘土層)の柱状対比図

図27 朝霧部層柱状図作成地点
(国土地理院2万5千分の1地形図「須磨」を縮小)
番号のない舞子台3丁目の海成粘土は、川西粘土層か高塚山粘土層か未確定である
この地図は,国土地理院長の承認を得て,同院発行の5万分
の1地形図及び 2万5千分の1地形図を複製したものである
(承認番号 平14総複,第389号)


 このことを都合よく説明するには、四つの可能性が考えられます。図28にその四つの可能性を示しました。

 第一は、川西粘土層と青粘土層は同じ連続する地層で、北にいくと変化して青粘土層に変化するという考えです(A)。

 第二は、川西粘土層は青粘土層と断層によって接しているという考えです(B)。

 第三は、川西粘土層は青粘土層の上に重なっているが、地層が谷のところでおれまがっていて、今は北の方ではけずられて見られないという考えです(C)。

 第四は、川西粘土層は青粘土層がつくる崖にぶつかるような関係で接しているというものです(D)。

 まわりの状況から考えて第一から第三のことはどうしても考ぇられません。そこで私たちは川西粘土層は下位の地層を不整合でおおう地層であると判断したのです。このように下位の地層の崖のようなところにぶつかるような関係でかさなることをアバットといいます。このような関係は狩口台の付近でもみられました。


図28 川西海成粘土層と明石累層淡水成粘土層の関係を考える


 ところで、川西粘土層の中ほどには砂の層がはさまっています。この砂は変わった特徴をもっています。小さなレキをたくさんふくんだ粗い砂ですが、そのレキと砂粒もほとんどが石英の粒で、よくみると黒っぼいキラキラ光る鉱物(黒ウンモ)もたくさんふくまれています。

 これは、花こう岩が風化したマサが運ばれてできた砂層だと考えられます。しかも、それほど遠くから運ばれてきたものではなさそうです。

 この地点の北東1kmのところ舞子墓園があります。ここには花こう岩が顔をだしていることは前も述べましたが、川西粘土層にはさまれる花こう岩質の砂はここから運ばれてきたものだと考えられます。すなわち、その時にはすでにこの丘は花こう岩からなる高まりとして存在していたとみてもよいということになります。

図29 砂は、北1kmの花こう岩の小丘から運ばれてきた  川西粘土層の花こう岩質の砂レキ層
この地図は,国土地理院長の承認を得て,同院発行の5万分
の1地形図及び 2万5千分の1地形図を複製したものである
(承認番号 平14総複,第389号)
前ページへ 目次へ 次ページへ