神戸の自然シリーズ17 神戸の地層を読む2
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6.広大な台地をつくる地層

平坦な明美面く丘陵のスカイラインが高位段丘面)


 この赤坂粘土層をふくむ地層をくわしく調べるために、私たちは明美丘陵(台地)の東の斜面を歩きまわりました。台地の表面は田んぼや畑がある平坦な土地で地層が出ていません。ケーキでいえばクリームののっている上の面では、その中身が見えないようなものです。ケーキの横の面にあたる部分が神出町から大久保町にかけての明石川の右岸にでています。

 その調査の結果、丘陵の崖の下の部分にはメタセコイアなどをふくむ青粘土層をはさむ地層である明石累層があり、その上には異なる地層が重なっていることがわかりました。

 私たちはこの一連の地層を岩岡部層と名づけることにしました。岩岡部層は、神出町の座頭谷(ざとうだに)では明石累層を不整合でおおう厚さ数mのレキ層ですが、南にいくと地層は厚くなって、薄い粘土をはさんだ砂・れきが何回もくりかえしてたまった地層になり、さらに南部では砂の地層が大部分をしめる地層に変化することがわかりました。

 その一番上に重なるのが赤坂粘土層だということになります。岩岡部層のこのような顔つきから考えられることは、北のほうは河川の河原であり、レキや砂をくりかえしため、そこには小さな湿地や池があったということです。そのとき、南部では川が海にそそぎこむような場所であり、砂の地層をためていたと考えられます。

 赤坂粘土層はその後の大きな規模の海進によって海におおわれた地域にたまった地層だということになります。

 ところで、この明美丘陵の平坦な地形面は、明美面(めいみめん)と名づけられ「高位段丘面」ともよばれてきました。段丘とは、かつての海底や河川の河原にできた平坦な土地が残されているところです。高いところのものほど古い時代に形成されたものです。その高さによって「高位段丘」「中位段丘」「低位段丘」などに区分されてきました。

 その高位段丘の段丘面の代表的な一つがこの明美面です。同じように高位段丘面としてあつかわれてきたのが、垂水区の高塚山から神陵台と星陵台に伸びる平坦な面です。

 かつては、こうした高位段丘面は大阪層群の地層が一度削りとられて、そのあとに堆積した「段丘レキ層」によってつくられた平坦面であると考えられていました。

 私たちが『神戸の地層を読む1』で高塚山層の上に不整合でかさなる学が丘層があるとしたのもそのような考えからでした。

 しかし、明石累層を不整合でおおう高塚山部層は下から一番上の「高位段丘面」まで一連の地層であるということは前にも書きましたが、明美面でも事情は同じだと考えざるをえません。

 ある地層が形成されてその表面が残っているとき、それはその地層の堆積面(たいせきめん)であるといいます。高位段丘面は、高塚山部層や岩岡部層の堆積面であるというのが私たちの一つの重要な結論です。

 私たちは、明石累層を不整合でおおう朝霧部層、高塚山部層、岩岡部層をまとめて明美累層と呼ぶことにしました。朝霧部層以外の明美累層は明美面に代表される高位段丘面を構成している地層でもあるわけです。

図31 岩岡(明美)丘陵南東斜面の柱状対比表 


図32 岩岡(明美)丘陵南東斜面の岩岡部層柱状図作成地点 
この地図は,国土地理院長の承認を得て,同院発行の5万分
の1地形図及び 2万5千分の1地形図を複製したものである
(承認番号 平14総複,第389号)

岩岡部層は、うすい粘土層と、砂層、レキ層が交互にたまった地層である

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