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2.アカシ象のいたころの神戸
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六甲山頂付近の平坦面は、200万年以上前の丘陵のなごりである
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このあと、また1000万年以上もの空白の時期があります。おそらく、神戸ふきんは起伏の少ない丘陵が延々と続くような土地であったのでしょう。
その丘陵のなごりが六甲山地の山項ふきんに点々とあるなだらかな平坦面です。
今から300万年〜150万年前、新第三紀鮮新世(せんしんせい)の後期から第四紀更新世(こうしんせい)の前期にかけての時代は地球上に私たち人類の祖先が誕生した時代です。この時代、現在の瀬戸内海から名古屋ふきんにかけて大きな湖ができました。神戸の南部と垂水区から西区にかけての地域はこの湖の一部でした。この湖は古瀬戸内湖とよばれます。この湖は現在の琵琶湖などと違ってしばしば干上がってしまうような浅い湖でした。
この時、六甲山地は上昇をはじめていましたが、現在のような立派な山地ではなく小高い丘陵だったでしょう。その北に東西につらなる丹生山地は山地としての形を整えていて、そこから古瀬戸内湖に流れ落ちる川によって押部谷から西区の西部のあたりには扇状地が形成されていました。
その当時、海岸線は紀伊水道のはるか南にあり、神戸はいわば内陸の盆地ともいうべき地域でした。
この湖のほとりの草原には、アカシゾウをはじめシカマシフゾウやニホンムカシジカ、ルサジカといった鹿の仲間が群れをなして生活していました。
この時の神戸の森林は、メタセコイヤやオオバラモミ、モミ、ツガ、スギ、マツ、ヒノキなどの針葉樹とケヤキやブナ、コナラ、ホウノキ、フウなどの広葉樹の混じりあった森林でした。
気候は現在よりやや暖かな温帯性の気候でした。
この時にできた地層が大阪層群明石累層で、垂水区から西区、明石市にかけて分布している地層です。六甲山地の南の市街地の地下にも分布しています。
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200万年前の神戸にはアカシ象がたくさんいた
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明石累層は、古瀬戸内湖にたまった地層である
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