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4.播磨平野に海が進入した時代の神戸
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現在の播磨灘は、5代目の海である。右上方は淡路島。
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今から50万年〜20万年前、第四紀更新世中期は播磨平野に海が進入した時代です。その前の時代、明石海峡ふきんにできた谷に沿って入った「朝霧の海」、さらに大規模な海進によって垂水区をおおった「高塚山の海」、六甲山地の上昇の影響をうけて西に移動した「岩岡の海」と海域は変遷していきました。
「朝霧の海」でできた地層は朝霧ふきんに分布する大阪層群明美累層朝霧部層の川西粘土層です。朝霧の海にはムカシチヒロやハリマニシキのほかアサリ、マガキ、サルボウガイ、セキモリガイなどの貝、フジツボ、ウニ、ヒトデなどがいました。
「高塚山の海」でできた地層は多聞町から小束山(こつかやま)に分布する大阪層群明美累層高塚山粘土層です。高塚山の海は初めは淡水の湖でしたが、気候の温暖化とともに海面が上昇してきて内湾が形成されたものです。この海進を高塚山海進と呼びます。
この海には朝霧の海にいたものより進化したムカシチヒロのほかハリマニシキ、マガキ、コガタヌマコガキダイ、ナミマガシワ、トリガイ、ツキガイモドキ、カガミガイなどの貝がいました。シオガマサンゴ、シロフジツボ、カニもいてメジロザメ、エイも泳ぐ暖かい海でした。
まわりには、海の進入する前はブナを中心としてケヤキ・ニレ、ツガなどの森林がありやや寒冷な気候でしたが、海の広がったころにはアカガシ、シイなどの常緑の広葉樹とコウヤマキ、スギなどの温帯性の針葉樹の森林に変化していきました。
その後、つぎの氷期にむかう気候の寒冷化とともに海は、河川の運んでくる砂によって埋め立てられて三角州ができ、その上に厚いレキ層が堆積して扇状地が形成されました。この時の堆積面が垂水面や万勝寺面などの一番高い高位段丘面です。
つぎにおとずれた岩岡海進による「岩岡の海」でできた地層は大阪層群明美累層岩岡部層の赤坂粘土層です。
「高塚山の海」が退いて垂水ふきんに扇状地ができていたころ、神出から岩岡ふきんには北東から南西に流れる古い明石川がレキや砂を運び出して大きな扇状地を作っていました。「岩岡の海」はこの扇状地を半ばまでおおう海でした。この海はその後、急速に退いていったためその上にはほとんど堆積物はたまらないまま離水して、その時の海底面と海岸平野の地形が残されました。それが明美面と呼ばれる高位段丘面です。
この50万年〜20万年前、更新世中期に海が出入りしながら変遷していたころ加古川の中流域の小野や社ではその海面の上下に対応して何段かの河岸段丘が形成されました。また、この時代に六甲山地の上昇は本格化して、現在私たちが見るような山地として姿を整えてきました。
この六甲山地の上昇の影響をうけて、播磨平野の地盤は東が上がる傾動運動をしました。
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高塚山の海進の前には、現在の六甲山頂付近にあるようなブナの林(写真はイヌブナ林)が、神戸にはしげっていた。
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