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3.消えた森と新しく出現した森
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玉津に海が入ってきていたとき、陸上にはどんな森や林があったのだろうか。明石城がある台地や西明石駅のある台地(ともに中位段丘)は、その当時は海に沿う台地のへりに位置していた(口絵カラー)。
さきに6,840年前の年代が測定されたハイガイといっしょに採集された粘土まじりの泥に含まれる花粉の化石をとりだしてみた。数グラムの泥を水酸化カリウム液で処理すると、泥は堆積する前のかたまっていないどろどろの状態にもどる。それを比重2の重液に入れると砂や粘土鉱物は沈むが、花粉化石や植物の組織片などは液面に浮かんでくる。その花粉化石や植物片などを集めて、顕微鏡下で調べると、花粉化石の親植物がわかる。それらの親植物の組合せが、この玉津の海の周辺に生えていた植物である。このように堆積物の中に含まれている花粉の化石をとり出して、過去の森林を復元する研究方法を花粉分析という。
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このような手順で地層からみつけ出されてきた花粉化石のうち、もっとも多いのはナラ類(たぶんコナラ)で全体の40%にも達する。そのほか、カシ類(アカガシ亜属)、エノキ、ケヤキ、カエデ、オニグルミ、ハンノキ、カバノキ、シデ、ハシバミ、ブナなどの広葉樹や、モミ、マツ、ツガ、コウヤマキ、スギなどの針葉樹がある。この樹木の組合せをみると、当時は、コナラを主体にした落葉樹林の中にモミ、コウヤマキ、スギのような常緑針葉樹とカシ類のような常禄広葉樹が混生していた森林が想像される。
ところが、海成層の上限に近いプラス2メートルの層準の花粉分析では、7,000年前には森林の中核であったコナラが減少し、これに代ってカシ類が圧倒的に多くなり、全体の50%に近い増加ぶりである。コナラとともに減少したものにはカバノキ、ブナなどの落葉樹があり、その逆に増加したものはカシ類のほか、ヤマモモ、マキなどがある。これは明らかに落葉樹林やモミ林から常緑広葉樹の多い照葉樹林へと森林が移りかわったことを意味している。わずか1,000年の間に大規模な森林移動が行われたのである。
数千年前の古い花粉が、くさらずに堆積物の中に保存されているという自然の巧みなしくみについて説明してみたい。春先きの開花期には、百花繚乱といわれるように植物は一せいに花を咲かせる。私たちは、その花びらの形や色の美しさに心をひかれるが、花粉分析のもとになる花粉粒はおしべのやくの中におさまっている。蕾が開き、充分に成熟した多くの花粉粒が受精のために、あるものはハチなどの体に付着して運ばれ、あるものは空気中に飛ばされる。めしべにたどりつき、首尾よく受精の役目を果すのは、花粉粒全体からみれば、まことに微々たるもので、大多数の花粉粒は空中へほうりだされたり、地面に落下する。花粉粒の袋の中にある細胞質は短時日のうちに分解され、消失するが、雨などで水域(湖や海)に運ばれた花粉粒の膜は、酸素の少ない水中では腐敗せずに何万年、何千万年でも残る。
また、花粉粒の形は、植物の種類によって異なるというか、それぞれに特有の形をなしているために、地層からとりだした花粉化石の形を手がかりに親植物の判定が可能になる。このように花粉は死して膜を残し、過去の植物界の再現に役立つ。玉津の海の堆積物の場合、乾燥した粘土1グラム中に花粉化石は1万粒前後という信じ難いほど莫大な個数が抽出される。
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