神戸の自然シリーズ21 六甲山はどうしてできたか
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尾根道に沿う礫層

鍋蓋山の円い礫は何を語るか

 天王川から鍋蓋山の西の肩に手がとどきそうになったとき、高圧線の真下を通る。そのとき小さい円いを拾った。はじめは鉄塔工事のときのコンクリート打ちのこぼれたものかと思った。しかし忘れかけた頃にポロッと見つかる。しかも道だけではなく林の中にもある。鍋蓋山頂あたりから連続して出てくる。しめたと思った。六甲山が上昇を起こす前にここにあった神戸層群の地層中の礫がわずかに残っているものなのだ。湖底に神戸層群が堆積していたとき、六甲山はまだ上昇運動をしていなかったことを示す直接の証拠の発見である。

 六甲上昇運動は、第四紀も半ばをすぎた約100万年前からだというのが定説になっている現在でも新しい場所における発見はうれしいものである。だが喜ぶのは早過ぎた。1937年に発行された上治寅次郎博士の「六甲山塊地質図」に、この花こう岩をおおう礫層の分布はちゃんと記入されていた。


鍋蓋尾根コースは再度山の大竜寺で終り、生田川へ下る。

布引水源池。手前中央の影になっている谷を布引断層が通り、池の対岸の影の部分につながる。ここでは断層破砕帯がみえる。


再度山は聖なる地として、ほんらいの自然林が残る。

布引谷、天王川、烏原川だけが六甲山地の分水嶺をカットしている先行河川である。
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