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2.粘土の色あいが示す三つの時代
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| 高塚山粘土層の地質柱状図 |
さて先ほどの色あいの違う粘土層をもう少しくわしく観察してみることにします。地層の厚さは約7m。粘土の色を、先ほどは「緑がかった青灰色」と「黒っぼい青灰色」と書きましたが、雨の降った直後などの地層がぬれている時と、乾いた時では地層を見た感じ、特に色はずいぶん違います。特別にことわらない限り地層の色を表現する時には、ぬれた状態の色を言うことにします。
下部の緑ぽい粘土の厚さは約2m。全体に均質で乾燥しても細いヒビ割れの入らないのは上部の暗灰色の粘土とは異なる特徴です。上部の暗灰色の部分では粘土の所も砂の所も乾燥した表面は、黄褐色〜黄色になって細かくヒビ割れが入っています。この色は、イオウの色です。粘土の中に含まれるイオウの化合物が、空気にふれて変化して粘土の風化した表面にこのようなイオウがふき出しているのです。この地層は下の方が粘土で上へいくに従って砂に変わるのはすでにのべたとおりです。この地層は約5m。その下部に火山灰や化石を含んでいるわけです。
下部の「緑ぼい青灰色」粘土の色は、湖など塩分を含まない淡水のところに堆積した粘土の色だと思われます。それに村して上部の「暗灰色」粘土の方は海に堆積した粘土の色のようです。前者の方を「湖成粘土」、後者を「海成粘土」と呼んでいます。もっともここでいう海は、大洋ではなく現在の大阪湾や播磨灘のような内湾のことで、「内湾成粘土」と呼ぶ方が正確かもしれません。 ここでは、下に湖成粘土があり、その上に海成粘土が重なっているわけです。この境がどこなのかははっきりしませんが、その境のあたりに木片、貝がら、木の実、生痕化石が含まれている部分があります。
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| 高い丘は削りとられ、地層が姿をあらわす。 |
この7mほどの粘土〜砂の地層の観察から次のようなことを思い浮かべてみました。
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この地層ができるために大きく三つの時代があった。
- 一番下の湖成粘土を堆積した時代で、このあたりは湖だった。この粘土は北へいくほど厚くなっており、南100mの所には見あたらないことから考えてこのあたりから北へ広がる湖だった。
- ピンク色の火山灰が降りそそぐ頃には湖の口が開いて海の水が入りこんできた。 カキやホタテ貝などが棲むような浅い海であった。ヒシの実がかなりたくさんみつかることから淡水の湖にもどった時があったのかもしれない。少なくとも川が木片や木の実を運んでくるような河口に近い場所だった。
- 上の海成粘土〜砂が堆積した時には、地層の厚さも一定してかなり広い範囲に広がっていることから考えて当時の自然は激しい変化のない内湾であった。
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もちろんここで考えたことは、地層を前にしてその場の観察だけから考えてみたことです。厳密に証拠だてて明らかになったことではありません。しかし地層を前にして、そこで見られる事実をもとに、こんなふうに自由に過去の歴史や出来事を思い浮かべてみたり議論してみることはとても楽しいことです。楽しいばかりではありません。今後、何をここで調べていったらいいかという課題を明らかにするためにも必要なことなのです。
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