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3.幻の断層の発見と追跡
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断層の傾きと伸びる方向を測る
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昭和56年8月、私たちは、このあたりで、二つの地層の関係と傾きを調べていました。その時給合運動公園の西のはしにあたり学園都市が見わたせる切割で、大阪層群の砂れき層と神戸層群の地層とが約70度の角度をなして接しているところを発見しました。
20度ほど西に傾いた神戸層群と、その上に重なる砂れき層を西へ見ていくと神戸層群は、やがて地下にかくれ、砂れき層だけが地表部にあらわれていることになります。その砂れき層を更に西の方へ追いかけていくと突然また地下にかくれたはずの神戸層群の凝灰岩と砂岩があらわれるのです。その境界が、70度の傾きをもった一つの面になっています。西側にあらわれた神戸層群の地層も、いままでと同しように約30度西に傾いているのですから、この面は、地層の重なりの面ではありません。この面こそ、私たちが、以前からさがしていた高塚山断層と名づけられた断層面だったのです。
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総合運動公園から学園都市にぬける道で発見した「幻の高塚山断層」
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神戸市企画局から発行されている「神戸市および隣接地城地質図」を見るとちょうどこのあたりを、南北方向に伸びる一本の線が引いてあり 「高塚山断層」 と書いてあります。この断層を境にして東側には神戸層群、西側には大阪層群が分布するように色わけがしてあります。今、「以前からさがしていた高塚山断層」と書きました。というのは、このあたりに神戸層群と大阪層群を境する断層があるらしいということは以前からわかってはいました。しかし、これこそ高塚山断層と言える断層面の見える露頭は、これまで新幹線のトンネル工事の際に一部見られた以外は発見されていなかったのです。今までは、地層の分布と傾きからここに断層があるはずだという推定によって考えられた断層であったのです。その意味では、この断層がはっきりと地表にあらわれた姿を見た私たちは、「幻の断層、ついに姿をあらわす!」とでも表現したいような気分になりました。
私たちはさっそく断面にクリノメーターをあててこの断層がどの方向に続いていくのかを調べてみました。クリノメーターを水平にしてその側面を断層面にそわせます。N35度E、それが断層の続く方向です。北の方向から東に35度ふった方向という意味です。もちろんこれは、南から35度西にふった方向というのと同しです。この両方向に追いかけていけば、この断層の延長部が見つかるはずです。断層の前後の地層のスケッチをした後、私たちは車を走らせて地図の上にのばしてみた断層の延長があらわれそうな所まで行ってみました。その時にはまだ工事が進行しておらず断層はあらわれていませんでした。しかし、その後工事が進むにつれて予想どおり数か所で同じような断層面があらわれました。
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その各ポイントを結んだのが次の図です。さてこのように断層を地形図の上に書いてみたわけですがちょっと困ったことになりました。断層は、北東−南西方向にのびておりこのままのばすと若葉学園のはるか西の方に続くことになってしまいます。若葉学園の付近で断層は見つかっていないのですが、若葉学園より東、高塚山よりは西を通るのは確実なのです。
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断層がどうつながるかを調べる |
私たちはある日この断層の続きぐあいがどうなっているかを調べるために、高塚山の周辺を歩きました。とは言ってもそこは草木のおいしげる山の中で断層面のあらわれる露頭は期待できません。こんな場合、断層がどこを走っているかはどのように判断するのでしょうか。もし断層がそこにあれば地表に出ている地層は、断層の西側で神戸層群、東側で大阪層群が分布していることは分っています。山道を歩きながら、地層が急に変わる地点をさがすわけです。実際に調べてみると、ある所まで神戸層群が分布し、10mほど間をおいて大阪層群というところがみつかりました。断層を横切るようにして断層の右へ左へと往復するようにして歩くと、このように断層そのものの露頭が見つからない山の中でも断層を追跡することができます。この調査の結果この高塚山断層は高塚山の北西300mの地点で方向をかえ、北西−南東方向にのびていくことがわかりました。
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