神戸の自然シリーズ12 神戸の地層を読む1
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−1.六甲変動と断層の活動

地層の厚さを調べる 地層の面に垂直に巻尺をあてる


 ところでこの高塚山断層はどのようにしてできたのでしょうか。まず実際にここで観察された事がらを整理して、それを手がかりにして推理してみることにします。
  1. 断層面は65度〜80度で西に傾いており学園都市東部ではN40度Eに伸びるが、高塚山の北西でN30度Wに方向を変える。大局的に見ればほぼ南北(N―S)性の断層である。
     
  2. 断層は、私たちの調査範囲では従来考えられていた場所より西に100〜300メートルずれた位置にある。
     
  3. 断層の西側100メートルあたりから神戸層群およびそれに不整合に重なる大阪層群は20度〜30度西に傾斜している。断層の東側では300〜700メートルにわたって地層は30度程度西に傾いており最大の傾斜は50度である。
     
  4. 断層面には数センチ程度の断層粘土を生しているが、その前後に断層破砕帯はなくこの断層から派生した断層もない。
     
  5. 断層は、観察しうる範囲では、西側が東に向ってつきあげた逆断層であり、その食い違いの大きさは110メートルぐらいである。
     
  6. 断層によって切られた大阪層群の砂れき層は、アカシ象やメタセコイアを発見した湖成粘土と同じ層準にあり、研究学園都市内の大阪層群の最下部にあたるものである。
 以上が今回の調査でわかったことです。このような事実から、98ページの図のような断層の動きを考えて見ました。

 断層は、見かけの上では西側がつき上げていますが、地層の分布を見ると、この断層を境にして東側が上昇したのだと考えざるを得ません。断層の運動で一方の地磐が上昇すると、上昇した側の地表には、そうでない方よりも下位の地層、すなわち古い地層があらわれるはずです。

 ここでは高塚山断層を境して東側には千数百万年前(第三紀中新世)の神戸層群が広がり、西側には100万年以降(第四紀)の地層が広がっています。西側の大阪層群の下には神戸層群か、それ以外の古い岩石や地層がきっとあるはずですから、東側の地盤が上昇していると考えられます。

 ではなぜ見かけ上は西側が上昇しているように見えるのでしょう。地下では、明らかに全体として東側の地盤が上昇し、地盤の高さにくいちがいができてきたのです。そのくいちがいに引きずられるようにして地層は幅数百メートルにわたって傾斜していきました。地盤を作っている神戸層群の地層はすでにこの時現在と同じような硬さの岩石になっていたはずです。そのように硬い岩石も両側のくいちがいに対してすぐに破壊されず弾性体としてのふるまいを見せるのでしょう。地層の傾斜、すなわち変形によってそこにはエネルギーがたくわ、えられることになります。その変形が弾性の限界に達すると地層は破壊され、ひずみのエネルギーは解放されるのです。この時地層ははねあがるようにして西側から東側にむかってつきあげたと考えてみたらどうでしょう。

(次ページへ続く)
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