神戸の自然シリーズ17 神戸の地層を読む2
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4.六甲を越えてきた海

図49 大阪平野と播磨平野の大阪層群の対比 


 大阪平野(千里丘陵、泉南丘陵など) では、大阪層群の中に10数枚の海成粘土層がみつかっています。大阪港ふきんで掘られたボーリング調査でもそのことは確かめられています。

 それぞれの海成粘土層には下からMa0、Ma1、Ma2、・・・、Ma13と名前がつけられていて、そのうち一番古いMa0は約120万年まえの地層だということは前にも述べました。

 これらの海成粘土層と播磨平野の川西粘土層、高塚山粘土層、赤坂粘土層などとの関係はどのように考えられるのでしょうか。

 川西粘土層も高塚山粘土層もおよそ50万年程度の年代をもつ地層であり、古いほうから川西粘土層、高塚山粘土層、赤坂粘土層という順番になることから、私たちはこれらの地層は大阪地方のMa6からMa10までの地層に相当するものであろうと考えています。すると、大阪平野に進入したMa0からMa5までの海は播磨平野に入ってこなかったことになります。

 特に、Ma1の海は奈良や京都までもおよんだ大規模な海進であったといわれています。このような海進が播磨平野には進入しなかったのはどうしてでしょうか。

 私たちはつぎのように考えてみました。

 神戸の市街地の北に北東から南西につらなる六甲山地の西の端は須磨区の鉢伏山(はちぶせやま)です。地形図をよくみると六甲山地は淡路島につながっているようにみえます。六甲山牧場ふきんから南西の方向をながめるとそのことがよくわかります。

 淡路島も六甲山地と同じように新しい時代に隆起してきたと考えられ、現在では明石海峡によって分断されていますが、かつては一連のものだったと考えたらどうでしょうか。

 播磨平野は、この六甲山地−淡路島の高まりの裏側に位置しているのですから、海が入ってくるためにはこの山地をつきやぶらなくてはなりません。

 明石海峡ふきんは六甲山地からのびてきた断層や高塚山断層、淡路島の海岸ぞいにはしる断層などの集まっているところです。断層の部分は岩石がもろく壊れているため、谷ができやすいところです。

 海水面が下がったとき大阪湾のほとんどは陸になってしまったはずです。このとき、現在の播磨灘にはまわりの河川の水を集めて流れる大きな河川があり、それは断層の集中した明石海峡の弱線部をとおって大阪湾から友ケ島(紀淡海峡)水道、そして太平洋にそそいでいたと考えられます。

 播磨平野でのはじめての海はこの川がつくった谷にそって進入した朝霧の海だということになります。ですからこの海は現在の陸上では明石海峡の淡路の対岸の舞子ふきんまでしか進入できなかったのでしょう。この海の進入を朝霧海進とよぶことにします。

 そのつぎにおとずれるのが、朝霧海進をうわまわる大規模な海進である高塚山海進です。

従釆考えられていた100万年前の海
(笠間・藤田1957より)

図50 100万年〜60万年の海は六甲山地−淡路島の高まりを越えられなかった

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