 |
 |
 |
3-4.卵で過ごす期間に関すること |
我々の住んでいる日本は,南の方をのぞいて温帯地域に属することはよくご存じのことでしょう.温帯に生活する昆虫にとって,冬の存在はその生命にかかわるものですから,いかに冬をのりきるかが重要な課題になります.逆にいえば冬をのりきるしくみを発達させることができなければ,その昆虫は温帯地域では生存できないということになります.
昆虫は卵,幼虫,さなぎ,成虫というようなさまざまのステージを経てその一生を終えます.じつは昆虫の種類によって,冬を越すステージというのがおおむね決まっています.たとえば神戸などでは,モンシロチョウはさなぎで冬を越します.
トンボでは冬を越すステージは種によってちがっています.トンボにはさなぎのステージはありませんから,それ以外のステージ,つまり,卵,幼虫,成虫のいずれかで冬を越すことになります.一般的にいって,卵で冬を越すものは卵の期間が長くなります.
卵で冬を越さないトンボの卵期間はふつう短く,だいたい1,2週間,長いもので40日程度です.このような卵を英語でダイレクト・デベロップメント・エッグ(休むことなく発育する卵)といいます.前の節でお話ししたような胚発生が,種によって遅い早いはあるものの,休むことなく進んでいくタイプです.このタイプの卵では,ふつう温度が高いほど短期間でふ化します.私がキイロサナエというトンボでたしかめたところ,50%の卵がふ化するのに要した日数は,平均水温が21.9℃のときには13日,26.0℃では9日でした.ふつう,春に現れて短期間ですがたを消すトンボや,一年に何回か世代をくり返すトンボの卵はダイレクト・デベロップメント・エッグであることが多いようです.
それに対し,夏の終わりから秋にかけてのみ産卵するアカトンボのなかまの多くや,アオイトトンボの多く,またルリボシヤンマのなかまなどは卵で冬を越します.これらの卵は通常の飼育で80日〜200日くらいの卵期間をもっています.このなかまは冬越しのとき,途中のある特定の段階で胚の発育が停止してしまいます.これを休眠といい,このような卵をデレイド・デベロップメント・エッグ(遅らされた発育をする卵)といいます.
ルリボシヤンマのなかまでは胚反転の直前の段階で発育が停止して冬を越し,またアカトンボやアオイトトンボのなかまでは,胚反転を終え,ふ化直前の段階で冬を越します.この休眠というのは,単に温度が下がったから発育が停止するというような単純なものではなくて,遺伝的にきちんとプログラムされて生じていると考えられます.そして外界の,あるシグナルを感知して初めて目ざめるようです.このことはトンボのくらしにとって重要な意味があります.
イギリスのトンボ学者コーベット博士はイギリスのアオイトトンボを使ってこのことを調べました.多数のこの卵を20℃の状態で飼育し続けてもなかなかふ化せず(休眠性),98日目くらいからやっとふ化しはじめ,その後だらだらと続き,217日後に完了しました.それに対し,この卵を10℃に15週間おいたあと20℃にもどすと,その後わずか4〜21日という,非常に短い期間でいっせいにふ化し終わってしまいました.
この実験結果は,自然状態におきかえて考えてみるとその意味がよく理解されます.アオイトトンボは秋に卵を産み,次の年の春にふ化して,初夏には羽化するような生活を送っています.この卵は秋にふ化しては非常に困ったことになります.なぜならその後に訪れる長い冬を幼虫で越すことが困難だからです.年によってはいつまでも寒くならない秋もあるでしょう.こんなとき,暖かいからといってふ化したのでは,その後に必ずやってくる冬を前にして自殺行為をしているようなものです.
ところが次の春,暖かくなったときには,逆に今度はふ化しないといけないわけです.かれらは春の暖かさと,暖かい秋をいったいどうやって区別しているのでしょう.......そう,春は必ず冬のあとにやってくるのです.つまり寒さをある期間経験したあとの暖かさは,それが春の暖かさであることを保証しています.この実験で低温におくということは冬の寒さを経験させることであり,その後に暖かいところにおくということは春の暖かさを経験させることになります.そうすると,コーベット博士の実験結果のように,ふ化は短期間で集中的に起こるというわけです.
イギリスのアオイトトンボの幼虫期間は短く約2〜3ヶ月ですから,成長もそれほどばらつくことなく,今度はほぼいっせいに羽化することになります.いっせいに羽化するということは,みんなが同じように成熟し,同じ時期に繁殖活動をおこなえることを意味します.同じ成熟状態のなかまがたくさんいるということは,子孫を残すためのカップルが容易にみつかるということです.またオスはメスを獲得するために競争しますから,よりよい遺伝子をもったオスがこの競争に勝ち,強い子孫を残すことにもつながります.ヒトでも年ごろの若者が多ければ,たくさんの相手から理想の伴りょをみつけやすくなるわけで,これは結構なことにちがいありません.
このアオイトトンボの例はわりあい明確な結果が出ていますが,じつはトンボ一般の卵の休眠性についてはまだまだはっきりしないことが多く,実験しても必ずしもアオイトトンボのようにうまくいかない場合が多いのです.そういう意味で,この問題は,まだまだこれからしっかりしたデータを集めていく必要のある分野といえるでしょう.
|
|