新・神戸の自然シリーズ1 神戸のトンボ
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3-7.幼虫(ヤゴ)はでたらめに成長しない

 トンボのヤゴをすくった経験のある人なら,一度にいろいろな大きさのトンボのヤゴが網に入った経験をもっていると思います.これをみていると,ヤゴは温度やエサの条件に左右されながら適当に大きくなって,早く成長したものから順番に羽化してトンボになっていくように思ってしまいます.たしかにこういう側面はあり,ヤゴの成長は,基本的には温度やエサの影響を強く受けています.

 私はトンボを本格的に調べはじめたときに,神戸市北区の淡河川でキイロサナエというトンボが,5月下旬の同じ日に何十と羽化をしているのをみて感動したことがあります.この羽化は1週間ほど続いたかと思うと,あとはまったくみられなくなりました.文献を開いて調べてみると,キイロサナエの幼虫期間は2年または4年であろうと書かれていました.

 そのとき,こんなに長い間かかって成長した幼虫が,たった1週間の間に羽化してしまい,あとまったくそれがみられないことに割り切れない気持ちをもちました.長い間幼虫で過ごしておれば,成長のばらつきは非常に大きくなるはずですし,もっと羽化がばらばらに起きても不思議ではないはずです.野外でさまざまなトンボを観察しはじめると,キイロサナエ以外にも羽化がある時期に集中しているトンボは結構たくさんいるのです.ムカシトンボなどは長いもので8年もの間幼虫で過ごすことがあるといわれていますが,決まって春の一時期だけに出現します.こうなってくると,そこには何か秘密があるにちがいないということになってきます.

 先に冬の低温を経験した卵が春にいっせいにふ化することをお話ししました.同じように羽化にも,それがある時期に集中的に起こるようなしくみが幼虫にそなわっていることが考えられます.このように,ふ化や羽化をはじめとする生活史のイベントが,ある季節に決まって起きるようにコントロールされることを,生活史の季節的制御といいます.この生活史の季節的制御の中心となるトンボの幼虫の休眠性については,海外では結構研究されていて,そのしくみや意味が検討されてきています.私はキイロサナエとの出会いから,この種に興味をもち,また幸いにも幼虫がたくさんいるところを知ったので,この種の幼虫の成長を本格的に調べてみました.

 調査は,月に1回,毎回同じ場所で,幼虫をできるだけたくさん採集し,その大きさ(頭の幅で頭幅長という)を測り,その大きさの変化から,幼虫の成長を追跡するものです.測定が終わった幼虫はもとの場所ににがしてやります.3年間調べたうちの一年分の結果を図3-3に示します.

図3-3.キイロサナエの幼虫の成長を示す,頭幅長の度数分布グラフ.縦軸は頭幅長[mm],横軸は月.F-0.終齢幼虫,F-1.亜終齢幼虫,F-2.終齢より2齢前の幼虫,...を示す.(青木,準備中).

 毎回のサンプル採集のときから感じていたのですが,この結果をみたときにはっきりしたことがあります.それは6月中旬〜8月下旬の間に終齢幼虫がいないということです.終齢幼虫とは,もう幼虫としての脱皮をすべて終え,次に羽化を待つばかりになった幼虫のことをいいます.この結果は3年間とも例外なく同じでした.さらにくわしくみてみると,終齢の一つ手前の幼虫(亜終齢幼虫という)が終齢になるのは秋に限られ,しかも秋分前後にいっせいに終齢になっているのです.この事実は,何らかの原因によって亜終齢幼虫で成長にブレーキがかけられていて,それが秋になったときに解かれると考えれば説明がつきます.

 まず秋になったときに水温が下がり,これが引き金になっていっせいに終齢幼虫になるということが考えられますが,これはじっさい測ってみると簡単に否定されました.この時期の水温は,真夏とほとんど変わらず,6,7月よりむしろ高くなっていました.

 そこで昆虫の本をひもといてみると,昆虫たちが季節を知るシグナルは日長(昼の長さ)であると書かれています.また海外の同様の研究論文にも日長がトンボの幼虫の成長速度を変えるということが書かれてありました.そしてキイロサナエの場合,6月,つまり一年でいちばん日の長い夏至の前に羽化を終えたあと,秋分前後まで次の世代の終齢幼虫が出現しないということから,日長がそれに関係していることが暗示されました.

 私は亜終齢幼虫に何らかの季節的制御のしくみがそなわっていると考え,次の年の6,7月ころに亜終齢幼虫をたくさん集めて二つにわけて,蛍光灯をセットしたフタの閉まる容器に入れて飼育しはじめました.蛍光灯にはタイマーをセットし,一方は,薄暮をふくめて秋分前後の昼の長さとほぼ同じの13時間(中間日長条件),もう一方は夏至とほぼ同じの15時間(長日条件)明かりがつくようにしました.結果は,中間日長の方は88.6±2.37日(平均±標準誤差)で終齢になり,長日の方は,185±13.0日(同じ)で終齢幼虫になりました.つまり,長日が,終齢幼虫になるのをいちじるしく遅らせたのです(青木,準備中).

 自然条件下にあてはめると,まず6月〜7月にかけて亜終齢になった幼虫は,日の長い間は成長を遅らされます.その間に,成長の遅れていた幼虫が,どんどん亜終齢幼虫になって追いついてきます.そして,秋分のころ,日長が短くなったときに亜終齢幼虫で成長のそろった幼虫がいっせいに終齢幼虫になるのです.キイロサナエの場合,春に終齢になる幼虫はいないので,成長のそろったこれらの終齢幼虫だけが翌年の春に羽化することになり,したがって短期間で羽化が完了してしまうのです.

 数多くの海外の研究では,日長条件のほかに温度も複雑に関係して,いろいろな生活パターンをもったトンボについて季節的制御がなされていることが示されてきています.そしてスウェーデンのトンボ学者ノーリング博士は1984年にこれらをある程度一般化しようとする仮説を発表しています.しかし日本では,トンボについてのこの類の研究は非常に少なく,また海外の研究が紹介されることもほとんどないのが残念です.

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