新・神戸の自然シリーズ1 神戸のトンボ
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3-8.羽化のはなし

 終齢幼虫というのはほかの齢の幼虫とは大きくちがいます.それは,その体の中で成虫の体がつくられていくということです.終齢幼虫を飼育し,体をくわしく観察していくとそのようすがわかります.

 まずはじめに,翅芽をルーペでみてください.終齢幼虫になりたてのころは翅芽の中に白いスジが走っているのがみえます.これは気管です.しかし,しばらくすると,かっ色の網の目のようなスジが,翅芽のつけねから形づくられていきます.これは成虫の翅の脈(翅脈)になる部分です.

 これと同時くらいに,ヤンマ科やトンボ科のなかまでは複眼の部分がかっ色になり,正中線(体の対称軸)の方向へ広がっていきます.これはトンボのシンボルである大きな複眼が形成されているのです.

図3-4.メタモルフォシス.ギンヤンマ複眼形成.羽化が近づくにつれ複眼の領域が広がっていく.

 さらに進むと,今度は今までみえていた翅芽の中の翅脈がぼやけてきて,翅芽がふくらんできます.これは翅がいよいよ本格的につくられはじめたサインです.翅はきれいに折りたたまれるようにして,その中におさめられていきます.

 そして,いよいよ羽化が近づくと,下唇の中の筋肉が退化してすけてみえるようになり,同時にエサを食べられなくなります.翅芽は今にもはちきれそうなほどにふくらみ,複眼もすきとおってみえます.今までえらから酸素を取り入れていましたが,いよいよ胸部の気門が開き,そこからも空気がとりこめるようになります.このころの幼虫は水面から胸以上の部分を出すことが多くなります.そしてある日,水からあがり羽化をはじめます.このように幼虫の体内で成虫の体がつくられていく過程を変態(メタモルフォシス)といいます.

 トンボの羽化の様式は大きく二とおりにわけられています.一つは倒垂型といって,成虫が出てくるときに大きくうしろへのけぞるような姿勢をとって一時的に休止するものです.もう一つは直立型といって,このときまさに直立します.

写真3-16.羽化の2つの型(休止期).(a)倒垂型の羽化(ギンヤンマ),(b)直立型の羽化(キイロサナエ).

 この様式はトンボの「科」とよばれるレベルの分類群によってきっちりと決まっています.カワトンボ科,ムカシトンボ科,ヤンマ科,エゾトンボ科,トンボ科などは倒垂型に属し,イトトンボ科,モノサシトンボ科 ,アオイトトンボ科,ムカシヤンマ科,サナエトンボ科は直立型に属します.ふつう,倒垂型の羽化の方が直立型の羽化より時間がかります.たとえば休止期とよばれる期間が,直立型では5〜10分であるのに対し,倒垂型では20〜30分かかるというふうな感じです.

 さて,トンボは種によって羽化の時期がだいたい決まっていることは,さきにお話ししたとおりです.しかし,その幅にはかなりのちがいがあり,北米大陸のゴンプス・バストゥスというサナエトンボでは一年間に羽化する個体数のほとんど全部がわずか一日で羽化してしまったという極端な事例があります.日本のトンボでも,ヤマサナエでわずか7日間で終わったという記録があります.

 こういうトンボでは,だいたい初期の数日で,年間の全羽化数の70〜90%以上の個体数が羽化してしまうことが多いようで,羽化の同調性が非常に高いことが特徴です.一方長いものでは,斉藤洋一氏によって江戸川でおこわなわれたナゴヤサナエの羽化調査で,6月17日から8月24日までの69日間,また倉田稔氏によって1965年に諏訪湖で実施されたウチワヤンマの羽化調査で,7月1日から8月22日までの53日間だったという記録などがあります.

 おおざっぱにいって,温帯では,春早くに出現するトンボの羽化期間は短く(1ヶ月未満),春の終わりごろから初夏にかけて出現するトンボの羽化期間は長く(1ヶ月以上)なる傾向にあります.ただし,一年に2回以上世代をくり返す(一年二化という)トンボについては,春から秋までずっと羽化が続いているような印象を受けることがあります.いずれにしても羽化の時期や期間というのは,そのトンボのシーズンを決めるという点で重要な意味をもっています.

 春のトンボは気温の関係で日がのぼってから羽化することが多いのですが,暖かくなってくると,とくにヤンマなどの大型の均翅類では,夜間におこなわれるようになります.そして多くが日がのぼる前に飛びさってしまいます.成虫にとって最大の天敵は鳥であって,鳥が活動する前に林や草地にすがたを消すことには大きな意味があるといえましょう.

 ところがサナエトンボのなかまでは,6月に入ってかなり暖かくなっても,日がのぼってから羽化する種類があります.この場合羽化場は鳥のエサ場となってしまうようで,とくにセキレイによる被害が大きいようです.さきのナゴヤサナエの観察では,ハクセキレイが羽化した個体のじつに半数を食べてしまったと斉藤氏は記しています.なぜこのような時間帯に羽化する習性が淘汰(進化の過程で失われていくこと)されずに続いているのかは,まだうまい説明ができていません.

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