新・神戸の自然シリーズ1 神戸のトンボ
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3-9.生殖活動をはじめるまでのトンボの生活

 羽化したトンボはしばらくの間は,交尾や産卵などの生殖活動をすることができません.それは精巣卵巣の中の,精子や卵が未完成なためです.通常生殖器官が発達し完成した精子や卵がつくられるようになると,トンボたちは交尾や産卵などの生殖活動をするようになります.

 また体の色がこの時期に変化をするものも結構あります.シオカラトンボオオシオカラトンボなどでは,オスは羽化したときはメスとよくにた体色,斑紋をしていますが,次第に青白っぽい粉をふいたような体になっていきます.アオモンイトトンボアジアイトトンボではメスが,だいだい色からくすんだ緑色に変化します.アカトンボの多くは羽化したときはみな黄色っぽい色をしていますが,秋にはまっ赤になった個体が水辺に現れます.

 トンボが羽化してから交尾や産卵などの生殖活動をはじめるまでの期間を前生殖期といいます.ひとつ注意していただきたいのは,トンボの中には,体色が成熟した状態になったり,精巣がじゅうぶん発達しているようにみえるにもかかわらず,生殖活動をはじめないものがあるということです.このようなものは成熟とか未熟ということばではうまくその状態をいいあらわせません.そこで正確にこの期間を表現するには未熟期というより前生殖期というのが適切といえるでしょう.また羽化して間もない個体をテネラルといいますが,これもその終わりを正確に決められないことばで,使っている人によってその意味する内容が微妙にちがっていますので,注意が必要です.

 さて,羽化したトンボはふつう,その水辺をはなれます.どれくらいの距離をはなれるかは,種によってちがいます.アキアカネではかなりの距離を移動し,高い山の上にあがると考えられています.身近なところでは六甲山や摩耶山,また信州の高山でも夏にたくさんのトンボがそこかしこに止まっているのをみることがありますが,この多くはアキアカネです.

 またウチワヤンマタイワンウチワヤンマは,丘陵地の谷の奥に広がる草地で過ごしています.そういったところに休耕田などがあれば,6月ころでかけると,枯れ茎の先に止まっているオス,メスをみつけることができます.アオイトトンボは林の下草の中で過ごしていますので,林のへりのやや暗いところをさがせばみつかります.ヤマサナエキイロサナエなどは,羽化した川の両側に広がる雑木林の葉の上で生活しています.長い棒で,周辺の木の枝をたたいてみると飛び出すことがあります.かれらはこういった場所でエサをとりながら,生殖活動ができる体になるのを待っています.この時期のトンボは飛ぶ力も弱いものが多く,死亡率がかなり高くなっているという研究結果があります.

 この前生殖期の長さは,ヨーロッパに産するカロプテリクス・スプレンデンスというカワトンボでわずか2日という記録がありますが,ふつう,1週間から30日くらいです.しかし,初夏に羽化し,秋に産卵するアカトンボ(アカネ属)やアオイトトンボのなかまでは3〜4ヶ月というのがありますし,オツネントンボのように初夏に羽化し,成虫で冬を越して翌年の春に産卵するようなトンボでは9ヶ月以上になると思われるものもあります.

 このうち冬を越すトンボは,寒い間活動できないということでこれが長くなることの理解はたやすいですが,秋を待って産卵をはじめるトンボの方はどう考えればいいのでしょう.これについては上田博士がアオイトトンボで次のような学説を表明しています.

 アオイトトンボは日本をふくめた,ユーラシア大陸の寒冷地に,広い範囲にわたって分布しています.これらのうち寒冷地にすむアオイトトンボは前生殖期が20日ほどしかありません.日本でも北海道のアオイトトンボは同じ程度です.しかし,日本の南方へいくにしたがってだんだんとこの期間が長くなり,たとえば広島では3ヶ月を越すくらいになっています.

 アオイトトンボは卵で冬を越し,春にふ化します.そして短期間で羽化しますから,日本では南北で差はあるものの,いわゆる初夏のころに羽化します.もし,日本中で前生殖期間が20日ほどであるなら,南の方では,真夏に産卵することになります.すると,卵に休眠性があるといっても,あまりに長い期間暖かいところにおかれると,秋にはふ化をはじめてしまいます.すると幼虫で冬を越すことになったり,ときには冬を前にして羽化してしまったりすることが予想され,これは卵での越冬を通常とするアオイトトンボにとって,非常に困った事態になってしまうと考えられます.そのために,南の方へ分布を広げた個体群には,夏の間,生殖休眠といわれる生殖活動をはじめないようなしくみが進化してきたと説明されています.

 現在,この考え方を,暑い夏を高山で過ごすアキアカネにもあてはめられないかということで研究が進んでいます.

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