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3-10.トンボの成虫たちのすがた |
からだが成熟し,繁殖の季節がやってくると,トンボたちは水辺に集まってきます.このとき,必ず羽化した水域に帰るとは限っていないようで,種によってはかなり分散してしまうこともあるようです.このような場合でも,かれらは卵を産むための環境や,幼虫が生活するための環境を認知できるようで,流水性の種は流水環境に,止水性の種は止水環境に,そしてそのなかでかれらが必要とするポイントに集まってきます.
水辺へ出かけてトンボを観察してみると,まず目につくのが,岸辺の棒の先に止まっていたり,水面をいったり来たりしながら一定の範囲を飛んでいるトンボたちです.これらは多くの場合,そういうポイントでメスを待っているオスです.そこへメスがやってくると,オスは一気にダッシュしてメスをつかまえ,タンデムになって移精行為に移り(種によっては,この時点で移精行為をすでにすませていると考えられるものがあります),その後交尾をします.
そのあと,ふつうメスはすぐに産卵をはじめます.このとき,多くのオスは,そのメスを他のオスにとられないようにさまざまな形で産卵にかかわります.いちばん極端なものが,連結産卵といわれる,タンデムになったまま産卵する形です.この場合,ほとんどこのメスは他のオスにとられることはありません.イトトンボ科,アオイトトンボ科,モノサシトンボ科のトンボの多くや,アカトンボのなかま,ギンヤンマなどがこの産卵方式を採用しています.
次によくみられるのが,オスがメスをはなし,産卵を近くでみまもるというタイプです.これを警護といいます.この場合,オスはメスをまもると同時に他のオスがなわばりに侵入するのを防いだり,そのメスが産卵中に他のメスと交尾をすることができるというメリットがあります.しかし,他のオスを追い払っている間に,まんまとそのメスを第三のオスにもっていかれることもあります.この方式は,シオカラトンボやオオシオカラトンボをはじめ,多くのトンボ科のなかまなどで発達しています.
一方で,昼間,水辺にほとんど現れないトンボのオスもいます.マルタンヤンマ,ヤブヤンマ,ネアカヨシヤンマ,カトリヤンマなどのヤンマがそれで,早朝や夕方暗くなってから水面を飛ぶことはあるようですが,日中の観察ではふつうは目にすることはありません.こういったトンボたちのオスがどうやってメスをみつけているのかなど,いくつかの観察は報告されています.
たとえばカトリヤンマでは,日中,林の周辺から林の中をのぞき込むように飛びメスをさがすといわれています.しかしこれらのトンボのメスをさがす行動については,まだ十分に解明されているとはいえないでしょう.なおこれらのトンボは交尾と産卵の間隔がかなり離れているらしく,オスがすがたをみせない時刻に,メスが単独でこっそりと産卵に来ているのをみることがよくあります.
ところで,交尾というと,オスの精子をメスに送り込むためにおこなわれるものであるということはよくご存じのことでしょう.しかし1979年,アメリカのワーゲ博士は,「トンボのペニスの二つの機能」と題する論文で,アオハダトンボ属の一種,カロプテリクス・マクラータにおいて,交尾時に,メスの受精のうにたくわえられた前のオスの精子がかき出されていることを明らかにしました.トンボのメスは何度もオスと交尾しますが,この論文の意味することは,最後に交尾したオスの精子がもっとも高い確率で受精するということです.
その後多くのトンボで,やはり最後に交尾したオスの精子による受精率の高さが確かめられました.そこで,オスにとっては,自分が交尾をしたあとでいかに多くの卵を産ませるかが最大の関心事であるはずで,そういった立場からメスの産卵にかかわるオスの行動を説明しようとする考え方が発展してきました.
たいていの場合,この行動パターンは種によって決まっているのですが,なかには状況に応じて戦術を変えてくる種がいます.上田博士はヒメアカネで次のような例を紹介されています.
ヒメアカネは,数が増えると水辺でなわばりをもてるオスは限られ,その結果いわゆる「あぶれオス」がでてきます.なわばりオスは自分のなわばりを監視できる位置に止まりメスを待っています.そしてメスがやってきたら連結して交尾をします.交尾を他のオスにじゃまされることはほとんどありません.交尾終了後,離れてからメスの近くにとどまって産卵をみまもります.なわばりオスにとっては,このメスが産卵中に他のメスがやってきたらそのメスとも交尾できるという点で,離れていた方が自分の子孫を多く残す上では有利であると考えられます.しかしこの場合,メスを他のオスにとられる危険性は連結して産卵するより明らかに高くなるのですが,なわばりをもっているというこのオスの地位が他のオスに対して有利にはたらき,多くの場合これを追いはらうことができます.
一方であぶれオスは,産卵場所から離れたところでメスをみつけ,交尾をした状態で水辺にやってきて,その後状況に応じて二通りの産卵行動を示します.すなわち,なわばりオスの密度が高ければ連結産卵を,低ければ離れて産卵をみまもります.つまり,前者の場合,なわばりオスにメスを横取りされる可能性が高いわけですから,あぶれオスにとっては,獲得したメスに,確実に自分の精子で受精した卵を産ませることに専念したほうが有利であると解釈できます.後者の場合は,横取りされる可能性が低くなると考えられるので,他のメスとの交尾のチャンスを残しておくほうが有利になるというわけです.
これらはまだ細かい部分の証明が残されており仮説段階ということですが,先の立場を支持する,かなり説得力のある事例です.
ヒメアカネ以外にもカワトンボ属やその他のトンボを使ってオスの繁殖戦略の研究が精力的になされており,この辺は現在のトンボ学のもっともホットな分野の一つです.
さて,オスがメスを獲得し,その後自分の精子で受精した卵を産ませるのにさまざまの方法をとっているのに対し,メスのほうは,生まれくる子孫にとってもっともつごうのよいところへ卵を産むために,その産卵方法にバリエーションがあります.
トンボの産卵のしかたにはいくつかのパターンがあって,枝重夫博士が1960年にそれを分類・整理されました.
まず,産卵の対象物(産卵基質という)とメスの産卵器官が接触する場合の接触産卵と,接触しない場合の遊離産卵にわけます.このうち接触産卵のほうはさらに産卵基質の種類によって,葉,茎,朽ち木などの植物組織内,泥や土の中,および水中という3通りにわけることができます.
次に飛翔しているか静止しているかによって飛翔産卵と静止産卵にわけます.
これらを組み合わせると,植物組織内静止産卵(=植物組織内産卵),接泥静止産卵,接水静止産卵,遊離性静止産卵,植物組織内飛翔産卵,接泥飛翔産卵(打泥産卵・挿泥飛翔産卵),接水飛翔産卵(打水産卵),遊離性飛翔産卵(=空中産卵,打空産卵・停止飛翔産卵)という,理論的に8通りの産卵方法が考えられますが,このうち植物組織内飛翔産卵をのぞく7通りまで現実に観察されています.
日常的にはこれにオスと連結した状態で産卵しているかどうかという状況をそえて,それらに「連結」と「単独」をつけることが多いようです.たとえば連結打空産卵とか単独打水産卵というようにいいます.また打水産卵では,連続的に打水する連続打水産卵,間欠的に打水する間欠打水産卵というふうにわけられています.
産卵場所を正しく選択するということは,子孫を少しでも多く残すためにはとても重要な作業です.トンボの場合,卵や幼虫が生育しやすい環境,たとえば,池で植物がよく茂っているところとか,流水で底が砂地であるところとかは,あの,よく発達した目で認知しているといわれています.これはその場所の環境を目で見て判断できるということですが,これらの能力の解明については,まだこれからの分野のひとつです.
トンボの成虫の寿命についてはいろいろと調査研究がなされています.筆者がベッコウトンボでおこなった結果によると,長いもので羽化してから50日くらい生き続けます.越冬したり,生殖休眠したりする種は当然これが長くなります.もっとも,トンボがその寿命をまっとうすることはまれで,たいがいの場合,事故や捕食されることによって死んでしまうようです.ベッコウトンボでは,これらの要因を含めた平均寿命は10日に満たないという報告もあります.
成虫の活動が活発におこなわれ,生き残りが後生殖期という老後を過ごし,そして成虫の寿命がつきるころ,そのトンボのシーズンは終わります.シーズンの終わりは,人が気づかない間にひっそりと訪れます.
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